広陵町議会 2022-12-13 令和 4年第4回定例会(第2号12月13日)
まず、埋蔵文化財の発掘調査結果でございますが、箸尾準工業地区造成工事区域の一部が遺物散布地、条里界に含まれることから、試掘調査を令和4年2月から3月にかけて行い、遺構が多く検出された箇所を中心に3か所の調査区を設定して、6月から11月末にかけて発掘調査を実施いたしました。
まず、埋蔵文化財の発掘調査結果でございますが、箸尾準工業地区造成工事区域の一部が遺物散布地、条里界に含まれることから、試掘調査を令和4年2月から3月にかけて行い、遺構が多く検出された箇所を中心に3か所の調査区を設定して、6月から11月末にかけて発掘調査を実施いたしました。
古墳の土中には遺構が残され、遺物が包含されておりますので、現状を保存するため雑木林の状態になっております。 ドッグランを実施した場合、犬による掘り起こしや人の踏み荒らし等により、遺構が損傷しないように保護する必要がございます。また、馬見古墳群の貴重な古墳として、文化財と自然探訪マップや広陵町ウオーキングマップで紹介しておりますので、見学に来られる方も一定数おられます。
貴重な遺構とかが発見された場合に、ルートや工法の変更、あるいは遺構見学者のための駐車場整備であるとか、そういったことも迅速に対応することが可能になるといった一面もございます。
必ず来るであろうコロナ後を見据え、本市が魅力ある城下町として活力を向上させていくために、郡山城跡公園の歴史公園としての整備は不可欠な事業であり、速やかな土地の取得により、宅地開発などで遺構が破壊されるのを防ぐとともに、国史跡の指定を受けることで、見えないところで進んでいる遺構の破壊にブレーキをかけたいとの思いを持っておりますとの答弁がありました。
令和2年11月から12月にかけて実施した第10次調査では、塔跡の一部と回廊跡と考えられる遺構が確認できました。調査を重ねることで、西安寺の伽藍配置の解明が進んできました。令和3年度においては、西安寺の正面がどの方向にあったのかを明らかにするため、第11次調査として塔跡、金堂跡、回廊跡等の一部を発掘いたします。
次に、戦争遺跡でございますが、本市には太平洋戦争に関係する遺構がありますが、現在のところ文化財として対象になっておらず、調査、記録するまでに至っておりません。しかし、戦争の歴史、平和の大切さを後の世代に語り継ぐ必要もあり、今後可能な範囲で検討を進めてまいりたいと考えております。 続きまして、新型コロナウイルス感染症対策としての小中学校における少人数学級と奨学金制度についてお答えいたします。
御所市一帯は、天皇家外戚として権勢を誇った葛城氏や継体天皇の擁立に功績のあった巨勢氏の本拠地であったことから、とりわけ5世紀から7世紀の遺構や史跡には目をみはるものがあります。
このことから可能な範囲で段差解消に努めるとともに、来訪者の方が公園内を散策しやすいよう自然色舗装を基本とし、遺構面を破壊しない園路整備を計画しているところでございます。 また、駐車場につきましても、史跡範囲内での整備は基本的には認められません。しかしながら、屋敷跡広場を臨時駐車場スペースとして活用できるよう土系の舗装で整備を行う計画でございます。
◎市長(仲川元庸君) このあたりは、私も文化財の専門ではございませんが、一般的には発掘調査というものは建設工事の着工前に行って、そして遺構の記録を保存するということで、保存した後には事業に着手をするということが一般的であろうかというふうに考えております。市役所の向かいのホテル建設工事でも、同様の方法が取られているのは御案内のところだと思います。
地下遺構を保全するため大型遊具の設置は困難でございますが、市民の憩いと触れ合いの場として、城内学舎跡地の西側に、先ほど福田議員がおっしゃるような芝生広場を整備する計画でございます。市街地の中心に立地する好条件を生かした「利用される公園」となるように、管理運営の方法についても検討してまいりたいと考えているところでございます。 ○副議長(林浩史君) 7番 福田浩実君。
郡山城跡につきましては、さきに改定いたしました「郡山城跡公園基本計画」に基づき、歴史ある遺構として、また、まちの歴史の学びの場として、その保全活用に取り組んでまいります。
郡山城跡調査委員会の委員は、石垣・縄張りなどの城郭遺構、城郭瓦などの近世の遺物、藩制にかかわる文献などの学識経験者で構成し、合計5名を予定しておりますとの答弁がございました。
次に、整備のスケジュールについてでございますが、第1期整備として、公園としての形を整え、市民や来訪者の方々へ城跡公園を開放するための整備に取り組んだ後、国史跡指定後の史跡整備事業を第2期整備として位置づけ、石垣の整備や遺構の復元など、郡山城跡の文化財的価値を高める取り組みに移行していく計画でございます。 第1期整備のスケジュールといたしましては、令和2年度から令和6年度を事業期間としております。
吉野ケ里遺跡の史跡整備は、用地の大半を取得済みであった県営の工業団地整備予定地から重要な遺構が発見されたことを受け、国や県の事業として遺跡の全域を復元するという大規模な整備が行われています。今、議員おっしゃったとおりでございます。 一方、纒向遺跡は、面積にして吉野ケ里遺跡の七、八倍もの大きさを有することに加え、民有地が多く、しかも整備すべき重要地点が遺跡内のあちこちに散在している現状であります。
また、基本方針の中で、平成28年10月の王寺町文化財保護審議会からの答申として、王寺小学校敷地については、校舎の新築により片岡王寺跡の遺構が破壊される恐れがあり、発掘調査をするには約10年の歳月を要する。その結果次第では、文化財保護法からいえば、片岡王寺跡を現地保存することで、学校教育や生涯学習に活用するという方針も必要と思われる。
その主なものとして、発掘調査の進捗状況はに対し、平成31年2月25日から実施し、令和元年8月8日をもって完了しており、江戸時代の礎石列や粘土を採取した穴が確認されましたが、平城京南方遺跡にかかわるような遺構は確認できなかったと聞いておりますとの答弁がありました。
続いて、これまでの発掘調査の結果、建築の支障になるものは出てきていないのかに対し、遺構の記録を保存する形での発掘調査を行っており、調査終了後、工事に入っていきたいと考えておりますとの答弁がありました。 以上が新庁舎建設特別委員会の中間報告であります。議員各位の御理解をお願いいたしまして報告を終わります。ありがとうございました。 ○議長(乾充徳君) ただいまの中間報告に対する質疑に入ります。
さらに、王寺小学校は飛鳥時代の片岡王寺の遺構がある埋蔵文化財の包蔵地であることから、発掘調査を行うにも10年余りの時間を要し、平成28年10月の王寺町文化財保護審議会の答申では現地改修が困難であるとされています。 以上の経緯から、北側については施設一体型の義務教育学校として整備を進めるとの結論に至っているところであります。
ただ、私のちょっと回答が言葉足らずだったかもしれませんけども、地上にあるもの、今、目に見えるものがないとそれは厳しいというわけではございませんで、現に、佐藤委員がおっしゃるように、地中に日本の国の礎を証明できるものが残っている、遺構といいますけども、残っているというのが明らかでございますので、その証明ができれば、世界遺産の登録を目指すことは可能だと思っております。
近年発見されました、これは王寺地内ではないわけでありますけれども、近年発見されました明治の鉄道遺構としての亀の瀬トンネルを初めといたしまして、ご案内のように、舟戸公園にはSLD51があります。